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戦争証言アーカイブス

ここ数日、知らぬ間に【戦争証言アーカイブス】というNHK-BS放送の番組がハードディスクに録画されていました。
これはきっと伯父2人を戦争で亡くしている私の事を想い、
じゅんパパが予約しておいてくれたんだろう…
その優しさに感動してすぐにじゅんパパの携帯に電話しました
私:『パパありがとう!私の為に"戦争証言アーカイブス"
   という番組を録画予約してくれていたのね。』

パパ:『は?…俺知らないよ。』
私:『てっきりパパの優しさだと思ってお礼の電話をしたんだけど…』
パパ:『(笑いながら)それは我が家のハードディスクが賢かったんだよ』
だって(笑)。
それにしても…誰も録画予約もしていないのになぜ…。
息子のじゅんちゃん関連の番組を拾って録画するようにキーワード録画の設定はしていますが、でもそのキーワードは(障害、福祉)。
何だか伯父達が『見て欲しい…』と言っているような気持ちになりました。
戦争証言アーカイブスc

戦争証言アーカイブスとは…
太平洋戦争終結から64年を迎える今、
NHKがこれまでの番組取材の中で得た戦争証言をより多くの人に伝え、
社会の共有財産にしていきたいと、戦争についての貴重な資料を集めた
「戦争証言アーカイブス」。
この戦争証言アーカイブスはトライアルサイトを公開していて、
TV放送と同じものが動画としてUPしてあり、
どなたでもご覧頂けるようになっています。
キーワード、地図、年表、所属・組織などで検索し、
あの戦争を体験した方々、それぞれのお立場の証言を
聞く事が出来るようになっております。

★戦争証言アーカイブスHP←クリック))


伯父達と同じ部隊だった方はいないか探しましたが
残念な事にいらっしゃいませんでした。
でも、ブーゲンビル島で亡くなった伯父が参加した
タロキナ作戦に参加され生き残った方の証言を見る事が出来ました。
伯父は鹿児島の部隊だったんですが、その方は宮崎の部隊だったそうです。
※タロキナ作戦とはラバウルを空襲する航空部隊の出撃基地となった
タロキナの米軍飛行場を制圧するための攻撃作戦。

絶対国防圏の外側に置かれたため補給もままならず、
飢餓で死ぬものや自決する兵士が続出したそうです。
宮崎・都城23連隊将兵6千人あまりのうち、
終戦時に帰国できたのはわずか400人だったそう……。
6千人で400人…あまりにも悲しく大きな犠牲です。
私の伯父が生きて故郷の地を踏めなかったのも無理もないなぁ…と
心が痛みました。
ソロモン諸島などの南方に送られた
兵士達の状況は過酷なものだったようです。
ある軍医の方の証言。
『薬がない、栄養剤もない、食糧もない…
そういう所で、十分な治療が出来るはずがない。
麻酔薬もないから、骨折しても手術ができない。
救えないのは当然です。
生きているのに銀バエがたかっている…。死臭がする…。
だから死が直前に迫っていることは自分で自覚している…。
私が診察に行くでしょう。その時に
「軍医さん、ひとつこの状況を郷土の人に知らせてくれ。
我々は死んでもいいから、頑張っているんだという
実情だけは知らせてくれ」そういう事を言っていた。』

赤痢やマラリアに侵されて野戦病院に居た伯父が
その後、病が完治していない状態でタロキナ作戦に参加し亡くなった…。
これがブーゲンビル島で亡くなった私の伯父の最後です。

もう1人の伯父は広島の部隊に配属され、原爆で被爆死しました。
もうすぐじゅんちゃんは修学旅行で広島に行きます。
原爆資料館には私の伯父の遺影も登録してあります。
名前で検索すると遺影が表示されるようになっています。
もし資料館にも行くのであれば、
じゅんちゃんに伯父の遺影を見て来て欲しい…
そして何かを感じてくれれば…と思っています。

もう二度と戦争で多くの命と人生が犠牲にならないよう
伝えて行きたい……そう思っています。





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